多様性ってぇ?

こんばんは

 

最近よくテレビとかでも聞く多様性について考えています。

そもそも多様性とはなんぞやという話ですがまぁ字の通り、多くな様式というのでしょうか。私幾分低学歴なので正しい説明は出来ませんがざっくばらんに説明しますと

様々な方法や生き方などを受け入れると言った感じになります。

まぁこれの対象と言えば同性愛を受け入れたりだの、今の働き方改革による定時上がりだの、あまりその場所や国では無い文化などを許容することが多様性がある、という認識です。

あくまで例えですので上記が全てではないです。

 

んでこの多様性がなんじゃらほいって話ですけど今日本は多様性であろう!という方向に向かおうとしています。

とても良いと思います。あらゆる可能性が生まれていくので。

なんですがー、多様性であれ!!!!!みたいな方がちらほら見えます。

多様性を強要してる時点でもう本末転倒です。そもそも多様性がーという話はありますが僕の認識では多様性とは絶対的な否定の文化ではなくするだけであって、何でもかんでも受け入れるべきとかいうすべきなものでは無いという認識です。

まず人間、全てを受け入れる事が出来る人とかいませんから。いやまぁもしかしたら極稀にはいるかもしれませんが、国民全員がそうなるとか未来永劫無いと思ってます。

絶対あり得ないと思います。というかそうなったら恐らくそこでその文化は停滞するか滅びます。

 

許容しない、受け入れない否定意見って聞くと一見して悪く見えますが否定意見を出す人は割と重要です。

ある意味一番物事の本質を見抜いてると言っても過言ではないと思っています。

え、じゃあ否定意見は絶対正しいの!?って話になるとそういう事ではないです。

否定意見を出す人がいるということは肯定意見を出す人と物事の思考や価値観、見方などが違うということです。全員が全員似た考え方してたら発想や発明に限界があります。否定意見そのものも大事な場合はありますが何よりも大事なのは否定意見を出す人そのものです。

 

だから多様性って言うのはそういう議論される場に持ち込まれて初めて多様性です。

多様性とかいう聞こえの良い言葉だけ出して相手をねじふせようとしてる人が一番多様性に欠けてます。

例えば日本では同性愛=あり得ないという時代から結構色々と考えられる時代になってその時点で十分多様性になってるじゃん、と思ってます。

後はそれを否定するか肯定するかその人の自由です。

まぁ僕は究極系としては無関心な立場まで行けば究極だと思います。

無関心ってどういうこと?って事になるかと思いますが例えば右利きか左利きかくらいのレベルです。

○○さんって左利きらしいよーって言われたらどう思います?

いやどうでもいい、と思うか へー珍しいね程度でしょう。そこまで行けば究極系だと思いますよ。今は過敏になりすぎなんですよねー。同性愛の人だってー!?LGBTがどうとかその人がやりやすいようにしなきゃとかだとか、ほっとけばいいのに。

誤解されると思うので先に言っておきますが僕は異性愛者です。同性愛の人を庇う=同性愛の人とか思う方も多そうなので。

 

昨今話題になっていたので同性愛の話がメインになりましたが他の事に関しても同様です。嫌いな人は嫌いでいいです。好きな人は好きでいいです。

なんでもかんでも好きになれ!って言うのはただの素晴らしい人であろう!とかいう意味不明な理想に取り憑かれてるだけの人です。

 

嫌いな食べ物食わされまくってうまいだろ!?うまいと思えよ!オラッ!!!なんて言われた日にはトラウマもんですわ。

 

最後にまとめますと多様性ってのは何でもかんでも受け入れる事ではなく

筋の通った否定と肯定の意見が交わされる事が多様性だと思います。 以上。